![]() | 名前 | ||||||||||||
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レアリティ | |||||||||||||
☆☆☆☆☆ | |||||||||||||
兵種 | 属性 | ||||||||||||
槍将 | 闇 | ||||||||||||
家・境涯 | |||||||||||||
片桐家 豊臣家 | |||||||||||||
SD | |||||||||||||
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CV | |||||||||||||
花澤さくら | |||||||||||||
戦姫紹介 | |||||||||||||
「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれた名将の一人。豊臣秀吉から重用され、 主に馬廻衆として後方支援などの活動で各地を転戦し軍を支えた。 押しに弱く頼まれごとを断れない性格だが、温泉巡りの予定が決まっている日だけは絶対に動かないらしい。 | |||||||||||||
ステータス (基礎値 + +値)=合計値 | |||||||||||||
Lv | HP | 合計 | 攻撃力 | 合計 | 防御力 | 合計 | 素早さ | 合計 | |||||
1 | 3259 | +1440 | 4699 | 940 | +430 | 1370 | 947 | +420 | 1376 | 1127 | +670 | 1797 | |
70 | 4815 | 6255 | 1417 | 1847 | 1394 | 1814 | 1683 | 2353 | |||||
絆1あたり | 115 | 43 | 131 | 3 | |||||||||
指揮能力 | |||||||||||||
温厚篤実 | 闇属性の戦姫に対して攻撃力を30%増 | ||||||||||||
特技1 | |||||||||||||
七本槍の一撃 | 闇属性のLv%単体攻撃。中確率で1ターンの麻痺効果を付与。 | ||||||||||||
運11 | 運21 | 運31 | |||||||||||
Lv | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |||
% | 180 | 185 | 190 | 196 | 201 | 206 | 212 | ? | ? | ? | |||
ターン | 3 | ||||||||||||
特技2 | |||||||||||||
豪槍乱突き | 闇属性のLv%全体攻撃。中確率で1ターンの石化効果を付与。 | ||||||||||||
運11 | 運21 | 運31 | |||||||||||
Lv | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | |||
% | 126 | 129 | 133 | 137 | 141 | 144 | 148 | 152 | 156 | 163 | |||
ターン | 5 | ||||||||||||
特殊能力 | |||||||||||||
なし | なし | ||||||||||||
進化・神化 | |||||||||||||
【七本槍】片桐且元 | 【誠忠の一葉】片桐且元 | ||||||||||||
大吟醸x30 冥の簪x10 冥の反物x15 八咫鏡x1 | ★5 天狗 【運4】 ★5 羅刹女 【運4】 ★4 姫金神 【運4】 |
2016年6月2日の「関ヶ原の戦い 西軍ガチャ」から追加された闇属性の戦姫。
高い素早さに、単体と全体に分けて状態異常を撒くことができる特技を持つ。
特に彼女の持つ高い素早さは進化、または神化になると全戦姫の中でトップクラスまで登る。
これは限定ガチャの戦姫や、騎乗化できる戦姫を除けば現在でも最速。(2018年7月現在)
ちなみに進化と神化の素早さはわずか10しか変わっていない。
進化・神化、最大ステータス比較 | HP | 攻撃力 | 防御力 | 素早さ | 指揮能力 | 特殊能力 | 特技 | |
進化 | 【七本槍】片桐且元 | 8290 | 2555 | 2427 | 2950 | 闇属性の戦姫に対して 攻撃力を40%増 | 石化無効 沈黙無効 | 単体攻撃(中確率1ターン麻痺付与) 全体攻撃(中確率1ターン石化付与) |
神化 | 【誠忠の一葉】片桐且元 | 8449 | 2585 | 2262 | 2940 | 槍将に対して攻撃力を30%増 豊臣家に対して会心率を10%増 | [怪異祓い] 毒無効 | 全体攻撃(中確率1ターン麻痺付与) 全体攻撃(中確率1ターン石化付与) |
【史実について】
豊臣家の直参家臣で、「賤ヶ岳の七本槍」の一人。
絆訓練のシナリオでは秀吉に「助作」と呼ばれているが、これは実際に呼ばれていた別名。
近江の国人・片桐直貞の長男。弟に片桐貞隆がいる。
且元は父である直貞は浅井家に仕えていたが、やがて織田信長によって浅井家が滅ぼされると
次の領主となった羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕えた。同じ近江国出身であった石田正澄・三成兄弟と同僚だったりする。
天正11年(1583年)5月、秀吉と対立した柴田勝家との賤ヶ岳の戦いで
福島正則や加藤清正らと共に活躍し、一番槍の功を認められて「賤ヶ岳の七本槍の」一人に数えられた。
秀吉が勢力を拡大させ、九州攻めや小田原の役で大軍を動員するようになると、且元は行政官に従事し、
道作奉行としての宿泊地や街道整備などの兵站に関わっている。交渉事も引き受けて、九州から東北まで日本各地を飛び回って働いた。
文禄・慶長の役(朝鮮出兵)にも参加して大陸へ渡り、戦地の日本軍と秀吉の連絡役を務めた。
ここまで読むと、戦国武将というより豊臣家の「中間管理職」としてのイメージの方が強い。
また某大河ドラマでは難題を突きつけられては胃を痛めていたが、史実ではそれくらいの苦労人でもあったという。
1598年に秀吉が死去すると、豊臣秀頼(秀吉の息子)の傅役(教育係)として選ばれた且元は幼い秀頼が成長するまでの間、
後事を託された有力大名や側近たち、秀吉夫人の寧々(ねね)と共に豊臣政権の運営を執った。
しかし政権内部の政争で徳川家康が台頭すると、
豊臣家の直参家臣だった且元や加藤清正たちは家康の支持を表明する。
1600年、家康が豊臣軍(東軍)を率いて上杉家征伐に向かうと、且元は東軍の便宜を図った。
ところが宇喜多秀家が反徳川で挙兵し、毛利輝元も続き、大軍を率いて大坂へ乗り込む。
そこに家康たちによって失脚していた石田三成も合流し、西軍を結成。少数派となった且元は、西軍に協力するしかなかった。
関ヶ原の戦いが家康の勝利に終わると、且元は長女を家康への人質に差し出し、豊臣と徳川両家の調整に奔走した。
その功績により、家康からは播磨国と伊勢国の所領6千石と引替えにに大和国竜田2万4千石を与えられた。
以降は家康の政治を幼い秀頼の代行として承認し、協力する立場となった。
それでも行政官としての仕事は変わらず、寺院の復興事業や治水事業に取り組んだりした。
ところが1614年に「方広寺鐘銘事件」が起きると、豊臣家と家康の対立が表面化。
更には戦争を避けるために且元が家康との会合で持ち帰った三ヵ条が
逆に豊臣家から寝返りの疑惑を掛けられると、そのまま孤立し遂には大阪城を退去。
取次ぎ役を失った両家は、次第に対立姿勢を肥大化していく。
そして1614年、大坂の陣が勃発。
且元は幕府軍に参加し、幕府軍の諸大名を積極的に支援した。
また幕府軍の大砲部隊を指揮して、淀殿が居た本丸を砲撃させたという。
これが豊臣方を和議の席に着かせることになった出来事でもあった。
夏の陣にて大阪城が落城すると、秀頼や淀殿の助命嘆願を且元が徳川秀忠に
通報するも助命は叶わず2人は自害、これにより豊臣家は滅亡した。
その20日後に且元は後を追うように60歳で死去。
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